第1章
困りごと編
いまから百五十年ほど前、十九世紀の終わりごろのお話です。そのころ、夜の家の中を照らしていたのは、ろうそくやガス灯の火でした。ものを燃やして明かりにするのですから、火からは目に見えない「すす」がたえず立ちのぼります。真っ白だったはずの天井の漆喰は、いつのまにか黄ばみ、壁紙もカーテンも、少しずつ黒ずんでいきました。どこの家のお母さんも、天井を見上げてはため息をついたものです。
汚れよりもっと困ったのは、空気でした。火は燃えるときに部屋の中の酸素を使い、かわりに二酸化炭素などのガスを吐き出します。冬の夜、窓をしめきった部屋で何本もガス灯をともすと、空気はだんだん重く、こもっていきました。頭がずきずき痛くなったり、なんだか息苦しくなったり。それでも子どもたちは、その明かりの下で本を読み、宿題をしました。
そして何より恐ろしいのは、火事でした。ガス灯もろうそくも、むき出しの炎です。夜の明かりが、そのまま家を焼いてしまう事故が、実際に数えきれないほど起きていました。
じつはそのころ、電気で光る「アーク灯」もすでに発明されていました。ところがこのアーク灯、太陽のかけらかと思うほどまぶしすぎて、家の中には置けません。おまけに何個もの明かりを「直列つなぎ」で結んでいたので、どれか一つが切れると、通りじゅうの明かりがいっせいに真っ暗になってしまう欠点もありました。
「燃やさない明かりが欲しい」。人々は心の底から願いました。じつは電気を「出す」ことだけなら、人間はもうできるようになっていました。足りなかったのは、電気を思い通りの強さで、思い通りの長さだけ、あやつる方法だったのです。
第2章
電信編
その方法の最初のヒントは、「遠くへ知らせを送りたい」という別の願いの中から見つかりました。アメリカのモールスが考えた「電信」です。スイッチをカチカチと入れたり切ったりすると、電線を通って電気が流れたり止まったりし、受け取る側の電磁石がカチッと鉄の腕を動かして音を鳴らします。電線の中を伝わるのは音ではなく、電気そのものなのです。
一八四四年、ワシントンとボルティモアの間で世界初の公式な電信が送られました。しかし技師たちはすぐ壁にぶつかります。電線が長くなるほど電気は流れにくくなり、遠くの電磁石は弱々しくしか動かない。技師たちが見つけた答えは、電池のつなぎ方でした。電池を直列につなぐと電圧が高くなり、電流が強くなる。強い電流は、遠くの電磁石を力強く動かしました。
一八六一年には大陸横断電信線が完成し、馬を乗り継ぐ「ポニーエクスプレス」は数日で役目を終えました。一八六六年には大西洋海底ケーブルで、船で十日かかった知らせが数分に。新聞社、商人、鉄道会社、離れた家族が助かったのです。
けれど電線は砂漠や山奥にも延々と続き、電池はいつか減ります。人けのない電信局まで電池を交換しに行くのは大変な手間でした。その願いに答えたのが「並列つなぎ」。電圧は変わらず、電流をみんなで分担するので電池一個あたりの負担が軽くなり、長もちする。強くしたいなら直列、長もちさせたいなら並列。人間は、電気をあやつる二つの鍵を、両方とも手に入れたのです。
第3章
エジソンの電球編
この二つの鍵を「燃やさない明かり」の夢に結びつけたのが、発明王エジソンです。エジソンは家の中に置けるおだやかな白熱電球を作り上げ、さらに「どうつなぐか」まで考え抜きました。はじめは炭化させた竹の糸を光らせていましたが、のちに三千度をこえても溶けない金属「タングステン」がフィラメントに使われるようになり、電球はさらに長もちするようになりました。
アーク灯の直列つなぎの失敗を、エジソンは忘れていませんでした。そこであえて並列つなぎを選んだのです。どの電球にも同じ電圧がかかって同じ明るさで光り、一つ切れても他は生き続けます。
一八八二年、ニューヨークのパール街の発電所から並列配線が街へのび、人々はスイッチひとつで、すすも煙も出ない、まぶしすぎない、火事の心配のない明かりを手に入れました。第1章の願いは、電気と並列つなぎの知恵によって、ついに叶ったのです。
ただし新しい便利さは、新しい危険も連れてきました。電線はふだん、電気を通さない「絶縁体」のゴムなどで包まれ、決められた道だけを電気が流れるように守られていますが、この覆いがすり減ったりやぶれたりして配線どうしが触れ合うと、大電流が流れる「ショート回路」が起き、発火事故が増えたのです。エジソンはここでも答えを出します。回路にわざと細い金属線を入れておく「ヒューズ」です。大電流が流れるとそこだけが先に溶けて切れ、回路全体を守る。これが今の家庭のブレーカーの原型です。
第4章
LED編
エジソンの電球は、送りこんだ電気の大部分が光ではなく熱に変わって逃げる弱点をかかえていました。一九六二年、アメリカのホロニアックが赤色LEDを発明しましたが、白い光に必要な青色LEDは「二十世紀中には不可能」とまでいわれた難問でした。
その壁を破ったのが、日本人研究者の赤﨑勇・天野浩・中村修二の三人です。一九九〇年代初頭、ついに青色LEDの実用化に成功し、白色LED照明が誕生しました。二〇一四年、三人はノーベル物理学賞を受賞しています。
LEDは同じ明るさでも消費電力ははるかに少なく、寿命は数十倍。電気の通っていない発展途上国の村では、灯油ランプに代わって太陽光パネルとLEDランタンが使われ、煙による健康被害が減り、夜でも子どもが勉強できるようになりました。
エジソンの電球は明るさを手に入れましたが、長もちは犠牲にしていました。LEDは日本人研究者の手によって、明るさも長もちも、両方同時に手に入れたのです。そしてこの二つは、あなたがこれから机の上で確かめられます。豆電球や乾電池を、直列につなぐか並列につなぐか——たったそれだけのつなぎ方のちがいで、明るさと長もちの両方が決まるのです。
さあ、電信技師やエジソンが見つけた
二つの鍵を、こんどはあなたの手で回してみましょう。